1995年 Love & Peace をモットーに「宇宙を覗く隙間をさがす」というテーマで作品制作を始めました。

    それ以来、こんなことを考えながら制作するようになりました。

 

宇宙を覗く隙間をさがす

Looking for a crevice to peep the cosmos

Love & Peace の気持ち が世界にひろがれば、みんな笑顔で、毎日穏やかな空気に包まれて生きていける。

しかし、「今」という地球上にある世界が、人の姿をした、人間の身体を借りた「魂」soulが、修行をしている場と仮定すると、

未熟な、いろんな種類のわがままな「魂」が存在するわけで、地球上に Love & Peace の気持ち がひろがるわけがないのではないか?

そんな考えが頭をよぎったとき、科学的にではなく、なんとか違う世界-宇宙を覗いてみたくなった。

 

自分自身-自分と宇宙の拘りの表現

Myself

If 自分自身の内なるどこかに、宇宙との接点があるとすれば、もっともっと自分を知る努力をしなければならない。

自分自身を追求するために、客観的に見つめ、描き、書き、撮り、つくる必要がある。

哲学的になるが、「自分の存在」「自分の役割」「死」「生」e.t.c.,を考えねばならない。

 

人が自分をみつめなおすとき、人は自分自身の内なるどこかで、「このままではいけない!」「何かちがう!」

と感じたときや、突然いままでと違った環境に、飛び込んだときではないだろうか?

自分自身を見つめなおそうとする行為は Negative であると思う。 しかし、自分がおかれた環境、

自分にあたる外的なエネルギーが Negative なとき、自分自身の内なるどこかで、Negative に動けば、なにかが、

Positive に変換されるのではないだろうか?

 

未知なる世界へ飛び込むとき

人は自分が生まれてくる瞬間は、覚えていない。 しかし、この瞬間がはじめて新しい世界にふれるときである。

成長とともに、次々と新しいものと出逢う。歳をとるとともに、新しいものとの出逢いが、億劫になるのではないか?

「自分はこれでいい」「自分はこれだけしかできない」と自分勝手に、可能性に線をひくからだと思う。

夢にむかっいるときは、少々の不安を抱きながらも、過剰なくらい自分の可能性を信じ、「気持ち」だけで動く。

こんなときは、宇宙から守られていたようだ。 しかし、そんな熱いときは、なにも感じなかったし、そんなことを考える

余裕もなかった。   いままで培ったものに甘えず、本当に自分がやりたいこと、いきたいところに、飛び込んだとき、

きっと感じることができるような気がする。 未知なる世界へ飛び込んだとき新しい自分がみえる。

何をやりたいか?わからない人もいる。探そうとしない人もいる。

私は、生かされていることに感謝して、未知なる世界に飛び込んでいこうと思う。

そして是非、宇宙を覗ける隙間を覗くことはできなくても、感じてみたい。

 

宇宙 ENERGY を感じることのできる場所 [power spot]での作品展

京都には、神社、寺が多い。 子供の頃はよく神社や寺で遊んだ。守られていた。

いま神社、寺にいくとやたら落ちつく。

子供のころ、母親のそばで守られていた。

同じような感覚がある。

私は、彼女を通過してでてきたという事実。 親の愛は絶対であること。

 

そんな母親の「書」と Neon art とコラボレーションしてできあがった作品を [power spot] で作品展をしてみたい。

幸いに1996年高台寺のライトアップをさせていただいたときに、母の「書」にneonの光をあてた作品を展示させていただくことができました。

 

 

Black & White の世界

額に汗して、一心不乱に演奏するパーカッション奏者をみて、寺の坊さんが一言。

「ポーンと一打の音で、聴衆すべてがリラックスし、満足できる演奏が聞きたいですね〜。」

晩年のピカソは、一筆書きで全てを表現した。

その一筆の中に、彼のすべてが集約された。

 

すべての色を集めると 黒 になる。

すべての光りをあつめると 白 になる。

すべて集約されたものが 黒と白。

 

凄く寒かった冬のヨーロッパ。 

明るい太陽のもとで過ごしたアメリカ西海岸。

大自然いっぱいのカナダ。

ハワイ、グアム、バリ それぞれの土地の色が脳裏に焼き付いている。

日本で、染色の職を通して、絵を描くことによって「色」をみてきた。

今、Neon の光をみている。

「宇宙の覗く隙間」をみつけるこができたら、顔をつっこんで、飛び込めたら...

BLACK & WHITE の世界なのかもしれない。